【曲水式庭園】きょくすいしきていえん
日本国内に三つしか例のないと言われる「曲水の宴」が行われた庭のひとつ。
当山の他に興聖寺(旧・秀隣寺、滋賀県)・北畠神社(三重県)に伝えられる。
室町時代、讃岐を支配した菅領・細川氏に檀那寺として崇拝され、その歴代によって代々、寺領の寄進・庭園の整備がなされ隆盛を極めた。

昭和二十一年の南海地震で大きな被害を被っていたが、日本庭園史の大家で京都林泉会会長を務めていた重森三玲(しげもりみれい)氏の指導のもと、十年の歳月を費やして復旧し、現在に至る。

重森氏によると、庭園内の石組や築山は志度寺の本尊である十一面観音菩薩の浄土「補陀洛山」を表していると言われる。

【流觴曲水の宴】りゅうしょうきょくすいのうたげ
約千六百年前の東晋の時代、現在の浙江省紹興市郊外の会稽山にある蘭亭で催された宴。
川の流れを引き込んだ庭園のあちこちに文人達が座し、主催者が上流から盃を流すと、その盃が自分の前に到達するまでに速やかに詩歌を作るという風流な遊びである。
その様子は書道の名人と謳われる王羲士(おうぎし)の名文「蘭亭叙(らんていじょ)」に書き残されている。