

阿一蘇生之縁起のあらすじ
これは、文保元年(一三一七)に二度死んで二度生き返った男の物語である。
讃岐の国、三木郡の住人、沙弥阿一(あいち)は、五十八歳の年のある日、まずは辰の刻(午前八時頃)に死んで、子の刻(午前零時頃)に現世に蘇った①。
渺々と続く広くて白い道を北へ向かい②、志度寺で待っていた性覚(しょうかく)から、阿一は「原の後家の覚阿弥陀仏に十貫文を借りて本堂を造れ」と言われた③。
さらに淡墨色の衣を着た、年の頃八十歳ほどで、眉毛が白く、有手に鹿杖(かせづえ)をつく老僧が阿一を坂の中途に呼び寄せた。「借りた金は阿観房に預けよ」と言うと老僧は、阿一を杖に取り付かせ、荒々しく坂の上に引き上げた。「堂は三年以内に造れ」と命じ、言われるとおり起請文を書いて
渡した④ところで、阿一は生き返ったのであった①。
次の日、十九日亥の刻(午後十時頃)に阿一はまた死んで、二十一日卯の刻(午前六時頃)に生き返った⑤。
阿一は夢から覚めたように中有(ちゅうう)の旅、閻魔王のことを思い出しはじめた。
最初は志度寺へ行こうと北へ向かったが、東から七十歳ほどの青い衣の老僧が来た⑥。阿一が尋ねると、「これから白峯寺へ行くのだ」と老僧は答えた。「先日の十八日のことを疑っているものがいるぞ」と仰るので、「構わな
い」と阿一は答えた。
またしばらく行くと、このまえの不思議な道に出たところで、性覚がやって来た。「用があっておまえに会いに来た」という。性覚は塗足駄(ぬりあしだ)姿であったが、それを脱いで阿一に履かせ、自分は別のを出して履いた⑦。
三町ほど行くと青く澄みきった池があり、さらに行くと、珍しい木立があり、二羽の鳥がとまっていた。樹の下で性覚は「互いに遺恨も不審もないことを誓い合おう」と言い出した。「互いに誓いを破ると観音の罰を受けるぞ」と言って性覚が打った鐘はみごとに響きわたった。急かされて阿一もまた鐘を打つと、また性覚は「原の阿弥陀仏に話をしたか」と聞く。「まだ会ってもいない」と答えると、「早く金を借りて長老の阿観房に預けろ」と言う。「十貫文でお堂が建つものか」と言うと、「元手にして勧進をするのだ」とまた同じ返答だった⑧。
「そろそろ帰りたい」と阿一が言うと、何と「もうすぐ閻魔王庁に着くのだ」と性覚は答えた。「さてはやはり冥土へ行くのか」と思うと、阿一は言いようもなく悲しくなってきた⑨。
ともかくも性覚について行くと、民家が十軒ばかり戸を閉めてひっそりと並んでいた⑩。
「この先に人の衣を剥ぎ取るところがあるので、剥がれないようにしろ」と性覚が言った。見ると一丈ほどの楠のような木があって、四方の枝に剥いだ衣が掛けてあった。二十歳ぐらいの、いろいろな衣を重ね着した、青い被衣(かずき)姿の女房が現れた。女は性覚に向かって、「この阿一房を西に行く道へ連れて行くように」と教えた⑪。
三里ほど行くと、西の方に、築地を巡らした高い楼門のある宮殿が見えてきた。阿一が聞くと、「あれこそは閻魔王庁(閻魔王宮)だ」と性覚は答えた⑫。
閻魔王庁に着き東門を性覚と、「南から入れ」と薄ばんやりした声が聞こえた⑬。そちらへまわって南門から入ると、高々とした王宮のなかに白砂が広がっていた⑭。
屋根は瓦葺き、軒の垂本には鐺(こじり)がつき、玉の御簾(みす)が掛かって気高い様子であった。南の庭に牡丹のような花があり、阿一は性覚に言われてその花の下に座った。「閻魔王の裁断の庭に召されて、はたしてどんな罪でどんな苦患を受けることになるのか。娑婆に思い残すことは限りなくある。しかし後悔先に立たず」とおののくばかりであった⑮ 。
三段ある王宮の階(きざはし)の二段目に性覚はいたが、阿一も呼ばれて二段目に二人で東西に向き合ってひざまづいた。沈麝(じんじゃ)香の匂いが内から漂ってきた。そしてその風に当たり身も涼しく力がついてきた。御簾が上がり、阿一が見上げると、閻魔王は上が黒く下が赤の装束であった。大きく気高く、十一面観音のように頭上に仏を頂き、顔は赤く髭は胸まであった。控えた冥官が、阿一の二十一歳のときの志度寺への月参りのことや、十八日夜、志度寺修造の起請文を書いたことを阿一に尋ねた。「讃岐の志度道場は殊勝の霊地であり、我が氏寺であると閻魔王は阿一に告げた。「三年で志度寺を修造する大願を立てるなら娑婆に帰すがどうだ」と尋ねた。畏れ多い勅宣を承って、阿一は、「娑婆に帰ることができるのか」と大いに喜んだ。とはいえ「貧乏な自分には三年では難しく、嘘を言って勘気を蒙りたくない」と述べた。すると閻魔王はさらに勅命を下し、「志度には女性だがさる氏族のものもいる」と語った。さらに閻魔王が言うことには、「備前の国の西大寺、上福岡に信心深い者がいる。みんなと心を合わせて、あまねく人々に勧進をして修造せよ」ということであつた。
性覚は阿一に「早く帰れ」と言い、閻魔王からも「早く帰るように」との言葉があった⑯。
御前を下がり、今度は西の門に向かうと、再び「ここへ参れ」と閻魔王の仰せがあった.阿一が御前に畏まると、閻魔王は玉の御簾の内の瑠璃板の上に側近く寄らせた。閻魔王は感嘆の声を挙げ、右手で阿一の頂きを三度撫で、涙を流した。阿一も勅定を肝に銘じ、骨髄に刻んで、落涙すること限りがなかった。もっと留めたいが、起請文を疑うものもいるから早く帰れ、さらに「阿観房には、三年後にここに迎えることになっていると伝えよ」と閻魔王は告げた⑰。
暇(いとま)をもらって阿一は閻魔王庁を出たが、性覚は名残を惜しみ西門まで送ってきた。「娑婆に帰りたいが、お許しはない上、娑婆には身体も残っていない」と嘆いた。性覚は、「娑婆では何不自由なく、親類も眷属も多かったが、いまは誰もいない。娑婆で積んだ功徳善根だけが冥土の供となってくれるだけだ」と涙を流した⑱。
西の門を出てしばらく行くと、北に高い山野があり、南は大河であった。間の道を上ってゆくと阿観上人に出会い、連れられてこうして生き返ったのだ⑲。
(以下、起請文―略文)
あらあら記してきたとおりである。もし嘘偽りがあれば、上は梵天帝釈、四天王等、諸々の神仏(名称省略)の神罰冥罰を、阿一の身の五体の首の頂より足の裏にまで八万四千の毛穴ごとに罷り蒙るべきものなり。仍て起請の文状、件(くだん)の如し。
文保元年十二月日
沙弥阿一敬白
描かれた人と場所と出来事
蘇生Ⅰ
①阿一の家。阿一が急死して、家には妻子のほか駆けつけた僧侶たちがいる。
②阿一は家を出て、造田(ぞうた)神社の横を通って、志度寺に向かう。
a1 造田神社
③阿一、志度寺で、先に死んだ原郷(はらごう)の性覚と会う。
④ 八十歳ほどの老僧に言われて、阿一は起請文を書いて渡した。そこで阿一は生き返った①。
蘇生Ⅱ
⑤阿一の家。阿一はその翌日にまた死んで、翌々日に生き返り、冥途での不思議な経験について語る。
⑥死んだ阿一はまた志度寺へと向かって行くと、七十歳ほどの青い衣の老僧が現れる。
a2 造田神社
⑦さらにしばらく行き、性覚と会う。性覚は塗足駄を脱いで阿一に履かせ、連れだって三町ほど行く。
⑧池の辺りを行くと、二羽の鳥がとまる珍しい木立の樹がある。その樹の下で性覚と阿一は鐘を打って誓い合う。
⑨ 阿一が「そろそろ帰りたい」と言うと、「もうすぐ閤魔王庁に着く」と性覚が応え、冥途へ行くのだと悟る。
⑩性覚について歩く阿一。ひっそりと民家が並んでいる。
⑪ 四方の枝に衣が掛かる一丈ほどの楠のような木。その下に二十歳ぐらいの、沢山の衣を重ね着した、青い被衣姿の女が現われ、性覚に道を教える。
⑫ 三里ほど行くと、蓮池の間を通り、閻魔王庁が見える。
⑬東門を叩き声をかけると、「南門から入れ」と言われる。
⑭南の門から入る阿一と性覚。
⑮南の庭に牡丹のような花があり、阿一はその下に座るよう言われる。
⑯階の二段めに東西に並ぶ性覚と阿一。阿一は、閻魔王と志度寺修造を三年で成し遂げる約束をする。
⑰閻魔王は阿一を呼び戻し、頂きを三度撫で、涙を流す。
⑱閻魔王庁を出た阿一。性覚が名残を惜しんで見送る。
⑲娑婆に帰る阿一は山すそで阿観上人に出会う。
阿観上人に連れられて、阿一は生き返る⑤。
b 真珠島、 c 真珠島、 d 塩田