讃州志度道場縁起(第一幅)のあらすじ

 ここに宝の珠をめぐる物語がある。

 珠が奪われる。あるいは手放さざるを得なくなる。

 二人の女性を仲立ちとする、「玉送り」と「玉取り」の物語である。

 弱者の犠牲で珠は取り戻される。命をかけた篤い志と技の力が躍如としている。

 強国と小国、主君と家臣、現世と龍宮、都と地方、男と女の落差が物語の節目にある。

 古来の盟約により、藤原氏は、天皇を補佐する第一の家臣として権勢を誇る。

 唐は文明の中心であり、天皇も藤原氏も、唐への朝貢で威信を保っている。

 藤原氏に類い希なる美しい娘があった。唐の皇帝がその娘を求めた。海を越えて娘は嫁いでいった()。

 兄の不比等(ふひと)は亡くなった父鎌足の供養のため興福寺に丈六の釈迦如来像を造ろうとした。

 生前、鎌足は頭上に一寸の釈迦像を頂いていた。不比等は釈迦如来像にその像を収めようと考えた。

 不比等の妹は皇帝の愛蔵する宝珠を、兄の造る釈迦如来像に献じたいと願った。宝珠には釈迦三尊像が籠められていた。どちらから見ても、宝珠の内部に納められた釈迦三尊像の正面像を眺めることができた。しかし皇帝が愛玩するその珠を手放すとは思えず、妹は重い病の床に臥せった。

 寵愛する妃の病を気遣い、そのわけを尋ねてはじめて皇帝は娘の願いを知った。

 容易に決心はできず、皇帝は重臣らにはかつて、珠を最愛の妃に与え、他の多くの宝とともに日本に送ることにした

 珠を載せた船は皇帝の派遣した国使(将軍か)に守られて日本へと向かった。 かねてその珠を欲しいと思っていた海の龍王が船を襲って奪い取ったのだと語られる(縁起文にそう書いてあるわけではない、絵もそれを描いてはいない)。皇帝の派遣した国使は海上で大嵐に襲われ、何事かが起こったことは間違いがない。

描かれた人と場所と出来事

日本の鎌足屋敷

藤原鎌足の邸。鎌足が唐の皇帝が派遣した国使(将軍か)と対面する。

西庇で娘と鎌足(あるいは不比等か)が別れる場面。

娘が輿に乗る。

門外では行列先頭の娘の乳母が馬上で見送られる。

南庭で朝廷からの下賜の儀。

物見遊山の庶民が追い立てられ逃げる。


唐の皇帝の宮殿

皇帝の宮殿で家臣たちと群議する。

皇帝が愛蔵の宝珠を最愛の妃に与え、種々の宝物が運び込まれる。

海上の玉送りの場。筋書き上は、ここが龍王の「玉取り」の場と語り伝えられている。


志度の浦

a 唐の宝珠を運ぶ船が志度の浦で暴風雨に遭う