

生駒雅楽頭親正の墓
市有形文化財
美濃国土田郡に生まれる。織田信長に仕え、のち豊臣秀吉に従って身を起し賤ヶ嶽、小牧山の合戦で戦功をたてた。
天正15年8月、 17万石を與えられて讃岐の国主となる。高松城、丸亀城を築き、地元郷士を重用して善政を行う。
朝鮮出兵のあと秀吉は伏見へ呼び、
「中老職」を與え、国政に参画させる。関ヶ原の合戦には豊臣方に味方したため、一時高野山に身を隠したが、息子一正の東軍での軍功に免じて罪を許された。
隣の海女の墓は「生駒家の先祖」に当るとして志度寺を崇敬。
八ヶ條の定め書を下して同寺の保護に力を注いだ。
親正は慶長8年2月13日、78才で生涯を閉じた。高松 弘憲寺にも墓がある。
境内の北側の墓地の中にあり、海女の墓を囲む柵の右側に沿って奥。
さぬき市指定史跡
生駒親正墓塔
1991年(平成3年)3月6日指定。